令和二年三月二十日(金) 「正安寺御開山忌並檀越家春彼岸先祖法要」の様子

行事

 本年は珍しく信州(しんしゅう)においても、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉に適ったお彼岸となり、例年に比べても暖かく感じられ、参詣された方々も穏やかな気候と、荘厳な佇まいの中にて行事に参加されました。
 奈良に都が在った古(いにしえ)より、彼岸法要は継続して勤められてまいりました。
 仏教で説かれる「空」、即ち自分勝手な執着を離れ、両極端に赴かないという教え、別名「中道」(ちゅうどう)・「仮名」(けみょう)が、天地自然の法則と重なるが如くの特別な日として、日本人が重きを置いてきたことの顕れでもあります。
 お彼岸の中日は、昼(明)と夜(暗)の時間が等しく、太陽の軌道も真東から真西に向かって沈むとされ、特に御浄土を信仰される方々にとっては、この日の沈む太陽に手を合わせることが、極楽浄土に渡るべき習わし、あかしであると考えていた、という説もあります。
 儒教の国といわれる中国でも、亡くなられた方を大事として、賓客を招きご供養する習慣は1~3年位とも言われております。日本に伝来した仏教は、日本人の心情やその風土、気候にも影響されながら、現在のように亡き故人を生前以上に大切にお守りするかの如く、変化していったのです。
 同じく仏教とは言え、日本に伝来してより、その時代時代の文化や変化を包摂(ほうしょう)しながら、国土に根付いてきた教えは、日本人と共に迷い、また変遷もし、成長もしながら今日に至り、日本独特の日本ならではの仏教となったのです。
 日本人が今は亡きご先祖様を敬うが如く、仏教の教えや精神も、今一時己が目に映った姿や、思慮のみで測れるものではありません。
 目まぐるしく世相が変遷を重ねる現代、先人達がその歴史歴史の中で培い、思いを含めて伝えてきた教えであることにも目を向け、深慮すべき時かもしれません。
正安寺御開山忌・檀越家春彼岸先祖法要にて、法語(ほうご)をお唱えされる山主住職。