引き続き「受戒入位」の解釈をしていきます。
【本文解説】
其の仏・法・僧の三宝を依り処とすべき姿勢は、仏の教えに信心を傾け、仏教の開祖であるお釈迦様が存命だった時代であろうと、お釈迦様が入滅された後であろうと、分け隔てることなく、合掌低頭の作法をもって、次のように唱えるのです。
南無帰依仏(なむきえぶつ)
南無帰依法(なむきえほう)
南無帰依僧(かむきえそう)
お釈迦様は私達それぞれが人生を、自分らしく有意義に自負をもって生きる方法を示し導く、善き知識者であり、またその教えは、私達が慌ただしい生活に追われ、様々な要因により見えにくくなった心の眼を再度明瞭にすべき良薬であり、その教えを信奉して、同じく仏の道を歩もうとする者は、互いに真の道理を求め励み合う良き仲間であるからこそ、これら三つを特に三宝と名付け、南無の心で帰依するのです。
ですから仏教徒の根本は、まずこの三宝を敬い、信じることからはじまるのです。
仏教も宗教としての戒めごとはありますが、いずれもまず、仏・法・僧の三宝を信じ敬うことにはじまり、その後に諸々を受戒するという順次次第を用いて教えの深意に触れ、自身の生活と戒めの教えが、融通無礙(ゆうづうむげ)ならんことを求めて生きるべき指針とする事が、仏教徒の証(あかし)となるのです。
講座(4)『修証義』の教え㉗
仏の教え