講座(4)『修証義』の教え㉖

仏の教え

 前回に引き続き「受戒入位」の解釈をしていきます。
 また、ここから本文はいよいよ、曹洞宗で掲げる私達、仏教徒が守り勤めるべき十六種類の戒めごと、いわゆる「十六条戒」(じゅうろくじょうかい)の各項目について、具体的な説明に入ります。まずは「三帰戒」(さんきかい)からです。

 〇其帰依三宝とは正に浄信を専らにして或いは如来現在世にもあれ、或いは如来滅後にもあれ、合掌し低頭して口に唱えて云く南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧、仏は是れ大師なるが故に帰依す、法は良薬なるが故に帰依す、僧は勝友(しょうゆう)なるが故に帰依す、仏弟子となること必ず三帰に依る、何れの戒を受くるも必ず三帰を受けて其後(そののち)諸戒を受くるなり、然あれば則ち三帰に依りて得戒あるなり。

 【本文解説】
 南無(なむ)とは、以前にも解釈した通り損得勘定を含んだあらゆる我執(がしゅう)、我見(がけん)、私心(ししん)を離れ捨てて、という意味です。また、帰依(きえ)とは、文字通り自らが最終的に根本の拠り所とすべきもの、またその拠り所に自身を進み入れることを意味します。
 実は帰依する時には南無であり、また南無でなければ帰依に至らないという、互いの存在であり、南無と帰依は紙の表裏の如く不一不異(ふいつふい)の関係でもあります。
 曹洞宗の教えには、人の感情のみならず世の事象を突き詰めるが如き表詮(ひょうせん)があり、真実を真実のまま表現するが故にかえって、矛盾をおぼえる場合があります。
 これらに慣れるには慌てずに、少しずつ経文等を読み習わし、解釈の手ほどきを受ける必要もあるでしょう。
 ちなみに私達が常に恩恵を頂いている身近な存在である「光」も、直線的な働きと思われる運動と、波長としか考えられない働きの両面を持ち合わせています。
 一方の働きのみが光であると限定すると、科学的に自然を解釈、解明していく上ではかえって不自然で、不完全な法則や姿になってしまうのです。
 
         
室町から安土桃山時代にかけて描かれた日本画。