【本文】
〇善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり、一者(ひとつには)順現報受(じゅんげんほうじゅ)、二者(ふたつには)順次生受(じゅんじしょうじゅ)、三者(みつには)順後次受(じゅんごじじゅ)、これを三時という、仏祖(ぶっそ)の道を修習(しゅじゅう)するには、其(その)最初より斯(この)三時の業報(ごっぽう)の理を効(なら)い験(あき)らむるなり、爾(しか)あらざれば多く錯(あやま)りて邪見に堕(お)つるなり、但(ただ)邪見に堕つるのみに非ず悪道に堕ちて長時(ちょうじ)の苦を受く。
【語句説明】
業報(ごっぽう)=業(ごう)とは、命あるもの、生きとし生けるものの行い、報(ほう)とは、それら業の働きと、因果、縁の連なりによって生じ、自らが被した結果、報いのこと。業報とは、この世界における事象の根本原理とも言えましょう。
【本文解説】
様々な原因等により様々な結果が生じるという因果の道理は、良い結果であれ悪い結果であれ、その現れ方により三つに分類することが出来ます。
一つ目は順現報受といい、結果がすぐさま現れる現象です。二つ目は順次生受といい、暫くしてから結果が表れる現象です。そして三つ目が順後次受といって、その原因そのものが遠い昔となり、本人が思い出せないほど後、または当の本人がご逝去された後、次世代に現れるような結果のことです。
だからこそたとえ、なかなか良い結果に恵まれないからといって、すぐにあきらめて、今まで培ってきた正しい行いを放り出してしまったり、反対にたまたましてしまった悪事の結果が現れず、露見しなかったからといって、更に悪事を重ねるような事があってはならないのです。 次回につづく
講座(4)『修証義』の教え⑮
仏の教え