講座(4)『修証義』の教え⑬

仏の教え

 前回より引き続いて『修証義』の〇本文、[本文解説]の順に記してまいります。
〇今の世に因果を知らず業報(ごっぽう)を明(あき)らめず、三世(さんぜ)を知らず、善悪を弁(わき)まえざる邪見の党侶(ともがら)には郡すべからず、大凡(おおよそ)因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち、修善の者は陞る、毫釐(ごうり)も忒(たが)わざるなり、若(も)し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。

【語句説明】
 西来(せいらい)=仏の教えが、多くの祖師方と時間を介して、インド、中国、朝鮮半島、そして日本へと西方より伝来してきたこと。

【本文解説】
 物事は原因があってこそ、はじめて結果が生じるものです。そしてその結果は、単純なものに見えたとしても、実際には様々な原因や、それを助長する諸縁がからみあって生じる複雑なものです。
 あるいは主として自らが招いた結果もあれば、他人に与えた結果、己に向けられた結果、己には直接的な影響はなくとも、他人が蒙る結果もあります。
 であるからこそ、私達は互いの言葉や行い、心構えに注意をはらう必要が生じるのです。互いのささいな一言や、何気ない仕草や表情、行いが他人をして大いに励まし、喜ばしめることもあれば、傷つけ悲しませることもあるからです。
 これら因果の道理は、一部の現在の思想や哲学にだけ通用するというものではなく、過去・現在・未来の三世に通じる自然の、あるいは宇宙全体の法則、真理でもあります。人間はともすると、身近で親しくなるにつれて、その有り難さや尊さを見失いがちでもあります。互いの存在が、幾重にも重なる貴重なご縁や、多くの助力の上に成り立ち、生かされている者であることは、決して忘れるべきではないでしょう。つづく
本日は定期の正安寺什物等の風通し。
什物書画の一つ、室町期の鷹図。