講座(1) お釈迦様と仏教 ③決意

仏の教え

 さて、若かりしころのお釈迦様は、早くに母を亡くし、説明しがたき感情を秘めながらも、国の王子として政務に励んでおりました。国王はことさら政務にふける王子を心配し、外遊を勧めます。或る日、王子は城の東門より視察に出られた時、歩くことにも難儀されているご老人を見かけました(老)。また別日、南門より外出された時には病を患い道端に臥せている人に(病)、西門より外出された時には亡くなられた方の葬送の儀式に(死)、北門より外出された時には大変落ち着いた清閑な若者(修行者)に、それぞれ出会いました。
 この内容を「四門出遊」(しもんしゅつゆう)といい、お釈迦様の出家(しゅっけ)の契機として伝えられております。また修行者にかわって、赤子を抱いた母親の嬉しくも将来に対する不安を含んだ戸惑いの笑顔(生)、という説もあるようです。
 ちなみに「四苦八苦」(しくはっく)とは、この「生」「老」「病」「死」に「愛別離苦」(あいべつりく=愛着のある人物との別れ)・「怨憎会苦」(おんぞうえく=相性のよくない者とのお付き合い)・「求不得苦」(ぐふとっく=求めながら得ることが出来ない)・「五蘊成苦」(ごおんじょうく=自らの識別、感覚器官等から発する)を加えたもので、この四苦八苦する人間の世を表してお釈迦様は「娑婆」(しゃば)と説かれました。娑婆を現代語に変換すると「堪忍土」(たんにんど)となり、堪え忍ぶところという意味となります。
 仏教ではこの世を楽園ではなく、誰もが悩み苦しみ、迷い悲しむ堪忍土であるという理解から出発し、その中でわずかでも前向きに、直向きに、大らかに、自分らしい道を見いだせる心構えを養うことを第一義として目指すのです。
釈迦三尊(しゃかさんぞん)  正安寺仏殿にて祀られている釈迦三尊は本尊にお釈迦様を、脇侍(わきじ)として右側にお釈迦様の跡を継がれた、二祖摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ)、左側に三祖阿難尊者(あなんそんじゃ)をそれぞれお祀りする大変珍しい形式です。
五百羅漢(ごひゃくらかん)  同じく仏殿にて釈迦三尊とともに祀られている五百羅漢とは、釈尊(しゃくそん)の入滅後、その教えの編纂事業に最初に参加されたお釈迦様に近しくまた、羅漢果(らかんか)といわれる境涯まで修行が進んだ方達で、所謂お経の原典制作者と考えられております。この集まりを「結集」(けつじゅう)といい、一説には第1結集から第6結集までおよそ300年の期間を設けてお経の基礎が作製されたと考えられております。