〇是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。(この故に空の中には。色も無く、受・想・行・識も無く。眼・耳・鼻・舌・身・意も無い。)
【用語解説】
色受想行識= 五蘊=存在と精神作用
眼耳鼻舌身意=六根(ろっこん)=感覚器官
【本文解説】
「是故空中」とは、今まで説かれてきた教えを充分に理解し、全ての存在や現象には、己を見失ってまで求め執着すべきような、実体は有していないという空の真理から見たならば、ということです。
さらに「無色無受想行識」にて、仏教の基本概論である世界観、全ての存在や、精神作用まで含めた現象そのものにも個としての実体が無いこと、「無眼耳鼻舌身意」では、普段それら現象を有ると認識している私達の感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身・意の六根そのものでさえ、本質的には敢えて執着するような実体がない、と示しているのです。
ここで記されている「無」は、有る無しの無ではなく、本来は空を意味するところです。有る無しの無の場合は、未だ無が有るのですが、空の時には有も無も離れているのです。ですから厳密には、永久不変の如くに見誤り固有の実体として存在していると捉えて有る、無しに拘泥すべきものは無いという道理である「空」を説くための「無」であるともいえます。
ちなみに「五蘊」である色・受・想・行・識の他、「六根」である眼(げん)・耳(に)・鼻(ぴ)・舌(ぜっ)・身(しん)・意(に)(心)を現象を捉える感覚器官、その感覚器官それぞれの対象となるべき「六境」(ろっきょう)である色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法(ほう)、更に六根と六境が対峙したとき生じる精神識別作用を「六識」眼識(げんしき)・鼻識(びしき)・舌識(ぜっしき)・身識(しんしき)・意識(いしき)とし、仏語では「六根・六境・六識」(ろっこん・ろっきょう・ろくしき)と称し、また五蘊を加えあらゆる存在を総じて「五蘊・十二処・十八界」(ごうん・じゅうにしょ・じゅうはっかい)と説かれることもあります。
十二処は六根と六境を合わせたもの、十八界はさらに六識を加えたもので、六根と六境が対峙する処にはじめて感覚が生じ、その感覚が認識されることによって、世界を存在としてとらえることができるところから、そのように呼ばれたものと思われます。
講座(3)『摩訶般若波羅密多心経』の教え⑥
仏の教え