「この世の中でも本来、仏の教えは遍く(あまねく)行き渡り、あらゆるものを尊く照らし出しているのですが、帰り来たって今一度見つめ直してみると、そのことに気付かずにただ、夢幻の如くに日々の生活と労費に追われながら生きてもおります。そのような中においても、恭しく(うやうやしく)仏・法・僧の三宝を仰ぎ(あおぎ)、私達の行く末も照らし、導いて下さることを願うものです。
今日、故人の追善供養にあたり、つつしんで香花、灯明、菓子、お茶等の馳走を供えて、仏の説かれた教えをお唱え致しました。この功徳をめぐらし、故人が御霊の安らぎを得られますよう、そして故人のおられる世界がいよいよ清浄でありますよう、願いたいと存じます。願わくは、仏の世界に導かれた故人の輝ける御霊が同じく、今生の人々を導いて、仏の教えにふれ、また目覚められるよう、ご助力を切に願うものです。」
これまで仏式による葬儀式の意義や、お唱えされる様々な文言について、おおよそのところを述べてまいりましたが、仏の教えの真髄はあくまで理屈ではなく、信仰を持って実践すること、仏道でもあります。
いかに示される教えが尊くとも、その理屈にばかりとらわれて、実際に行じることがなければ、本来の教えの主旨とは、ほど遠いものとなってしまいます。
未だ理屈はわからずとも、亡き故人やご先祖様方の「有り難さ」を感じ、己が思慮のみに基づく善悪是非ではない、慕い敬うべき自身の勤めとして考え、準備し、縁者を招いて、ご供養するところに、仏の教えの一分なりとも顕れてくるのだと思われます。
講座(2) 葬儀式の内容「本葬儀⑨」完
仏の教え