講座(4)『修証義』の教え㊾

仏の教え

 〇謂(いわ)ゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり釈迦牟尼仏是れ即心是仏なり、過去現在未来の諸仏共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏と成るなり、是れ即心是仏なり、即心是仏というは誰というぞと審細(しんさい)に参究(さんきゅう)すべし、正に仏恩を報ずるにてあらん。


 【本文解説】
 いよいよ解説してきた『修證義』の第五章は最後の節となります。ここをもって「行持報恩」の要諦となるべき本文は、あくまで我々人間側から、その心構えとして浸透させるべく、述べられております。
 世界中には様々な言語、地域、社会が存在し、そこから生じるものの見方や考え方、宗教観も様々ですが、大凡の宗教が人と神とを完全に分け隔てている中、人をしてそのまま仏になる、という仏教の宗教観は極めて希と言えましょう。
 本文中に「諸仏」と述べらるるも、そのまま仏教を開かれたお釈迦様その人のことであり、私達と同じく、ある時節に仏心を発して、世の道理を正しく学び、修行を重ねてその心のままに、人間が人間らしく生きるべき道に目覚められました。
 今までの仏様は勿論、これから成仏される仏様方も、そして私達も辨道修行を重ねて仏となる時には、必ずお釈迦様と等しく人として人の道を究(きわ)めることとなるのです。
 そのこと称して仏様といい、あるいは「即心是仏」というのです。
 さて、この「即心是仏」とされる人は「誰」であろうかと、深く深く思慮し、参学究明することこそが、仏様方やご先祖様方を含め、希にみるご縁に導かれて、奇跡的にこの世に生を受けた深恩に報い、自尊心を有する生き方を全うする道となるのです。