講座(4)『修証義』の教え㊻

仏の教え

 〇今の見仏聞法は仏祖面々の行持より来れる慈恩なり、仏祖若し単伝せずば奈可(いか)にしてか今日に至らん、一句の恩尚お報謝すべし、一法の恩尚お報謝すべし、況(いわん)や正法眼蔵無上大法(しょうぼうげんぞうむじょうだいほう)の大恩これを報謝せざらんや、病雀(びょうじゃく)尚お恩を忘れず三府の環(かん)能(よ)く報謝あり、窮亀(きゅうき)尚お恩を忘れず余不の印能く報謝あり、畜類尚お恩を報ず、人類争(いかで)か恩を知らざらん。


【本文解説】
 今日、私達が仏の姿形に接し、その教えに触れることが出来るのも、多くの先人達が自分だけの物とせず、日々怠ることなく師から弟子へと、受け継がれてきたからに他なりません。
 正しき道理の尽くされた教えであるならば、たとえ一言一句の教えであっても、その尊さは計り知れず、ましてや今日伝わってきた仏の教えの全てに、接することが出来る我が身をどうして疎(おろそ)かにしたり、精進せずにいられましょうか。
 病雀を助けた後、三代にも渡り報謝を受けたとされる後漢は揚宝の故事、窮状にあった亀を川に放(はな)した孔愉が、後に報謝される『晋書』の故事もあるように、古来より動植物もまた恩は忘れず、と伝えております。
 我々人間が眼前に、永く伝えられてきた尊い教えを示されながら、その先人達や学べる我が身に対して報恩の念を抱かずいられましょうか。
            
法堂(はっとう)須弥壇左右に在する鏧子(けいす)と木魚。