〇静かに憶(おも)うべし正法世に流布せざらん時は身命を正法の為に抛捨(きしゃ)せんことを願うとも値(お)うべからず、正法に逢う今日の我等を願うべし、見ずや仏の言(のたま)わく、無上菩提を演説する師に値わんには、種姓を観ずること莫(なか)れ、容顔(ようがん)を見ること莫れ、非を嫌うこと莫れ、行いを考うること莫れ、但般若を尊重するが故に、日日三時に礼拝し、恭敬(くぎょう)して更に患悩の心を生ぜしむること莫れと。
【本文解説】
日本は古来、師弟関係を尊び技術のみならず、精神面も師から弟子へと伝承してまいりました。
しかし、そのような職人気質が失われつつある現代、社会における己が位置や精神性が語られることなく、ただただ効率ばかりを追い求める姿へと変貌を遂げようとしているようにも見えます。
よくよく一度心を静めて深慮してみるに、せっかく志をもって、この世に生を受けたとしても、先人たちが正しい道理や教えを守り、伝えてこなければ、自身もまたその教えに触れることも出来ず、ただただ正しき道理に出会うことを待ち望むばかりの人生ともなり得るのです。
仏教徒はこの世に生を受け、仏の教えに出合えた難値難遇(なんちなんぐう)を思惟(しい)しなければならないでしょう。
仏様が既に説かれているように、私たちの思慮分別で計り知れなくも、尊く正しき道理を守り勤めてこられたような師に出合おうと思うならば、その人物の生まれた環境や容姿は勿論のこと、師の所作一つ一つのあげ足を取ろうとしたり、詮索しようとするなどあってはなりません。
その説かれたる教えと実践をただただ尊重して、朝昼晩、礼節を尽くして敬い、師弟共に不快の念を生じさせぬよう、修行に励むべきです。
講座(4)『修証義』の教え㊺
仏の教え