〇愛語というは衆生を見るに先(ま)ず慈愛の心を発し顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如赤子(じねんしゅじょうゆうにょしゃくし)の懐いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし、怨敵を降伏(ごうぶく)し君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり、面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝(きも)に銘じ魂に銘ず愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
【本文解説】
仏教徒として人と接するには、四種の菩薩行の中でも「愛語」(あいご)の考察が肝要となります。
現代社会においては、様々な悩みや苦しみがありますが、その多くは対人関係に基づくものと言えましょう。
たとえ同じ地域や、あるいは同じ屋根の下で暮らした家族であっても、育った時代や容姿、学友及び成人してからの職場の状況等、お互いにそれぞれ立場が異なるのは当然です。
その違った者同士が、社会生活を円滑に進めようとするならば、譲り合いの精神も必要となります。どのような立場の者に対しても、先ず分け隔てのない慈しみの精神で接しようとするならば、言葉は自然と穏やかなものとなります。
対して譲り合う精神を忘れ、己が言い分のみを押し通そうとするときには、言葉は荒々しくなります。 つづく
講座(4)『修証義』の教え㊴
仏の教え