講座(4)『修証義』の教え㉞

仏の教え

 〇其(その)形陋(いや)しというとも此(この)心を発(おこ)せば已に一切衆生の導師なり、設い七歳の女流なりとも即ち四衆の導師なり、衆生の慈父なり、男女(なんにょ)を論ずること勿れ、此れ仏道極妙の法則なり。


【用語解説】
 四衆(ししゅ)=正式には仏教教団を構成する僧侶や信者を 比丘(びく) 、比丘尼 (びくに) 、優婆塞 (うばそく) 、優婆夷 (うばい) に分類したことにはじまるが、現在では仏教を信奉して同じく道を修めようと願う者、と解釈すればよいでしょう。

【本文解説】
 人間には時として、己の思い込みや好みにもより、相手の容姿や佇まい、仕草や行いまで嫌ってみたり、見下してみたりというようなこともあるようです。
 人それぞれ誰しもが、己が経験してきた人生の中で培ってきた判断基準を持っています。しかし、時にそこに拘りすぎるが故に、己の視野をかえって狭め、正しく判断出来なくなることもあります。
 己が判断基準に根幹とすべき中心を定めることは大切ですが、その根幹が曖昧となりつつある時には、信頼すべきいくつかの物差しを用意しておくことも肝要です。
 仏教徒であるならば、人間にとって大切なのは姿形以上に、この菩提心を起こすことであると、理解しなければなりません。
 菩提心の持ち主であるならば、若輩であろうが年寄りであろうが、女性であろうが男性であろうが、全ての仏教徒の目標とすべきところであり、その教えや精神を請い慕うべきなのです。
 さて、この内容にて道元禅師は「七歳の女流」、「慈父」、「男女を論ずること勿れ」等と記されております。まさに仏道極妙の法則の立場から説かれたものであり、極妙の視点から述べるとき、七歳を説くときは同じく百才の老翁をも説き、女性に示すときには男性にも示しているのです。
 父母を語る時、一般的には厳父(げんぷ)、慈母(じぼ)のたとえを用いますが、道元禅師は敢えて「慈父」と述べ、更に「男女を論ずること勿れ」と念押ししている文言に意を注がねばならないでしょう。
            
コロナウィルスの蔓延、日本国首相の非常事態宣言全国拡大を受け、当寺院の大玄関に用意された御手の消毒液。