第四章 発願利生(ほつがんりしょう)
〇菩提心を発(おこ)すというは己未だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願し営むなり、設(たと)い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心を発すべし。
【用語解説】
菩提心(ぼだいしん)=仏心(ぶっしん・ほとけごころ)、さとりを求め仏道を修めようとする心。
自未得度先度他(じみとくどせんどた)=自らが未だ渡り得ざる先に、他をして渡らしむこと、このような思慮、心持ちを抱くを仏心といい、その行者のことを菩薩と呼び、行いを菩薩行(ぼさつぎょう)と称する。
【本文解説】
ここからは愈々菩提心、即ち仏心を発するという仏の教えの中でも一大眼目とされる内容に入ります。
日本には「謙譲(けんじょう)の美徳」という言葉があり、譲り合うことの大切さを、古来より伝えてきました。
どんなに立派な人間であっても時に、切羽詰まった状況におかれたり、重要な事柄にのめり込みすぎて周囲が見えなくなっている時など、思わぬ言動を発したり、失敗を重ねてしまうことがあります。
そのような時こそ、一歩身を引いて冷静に、己の置かれている状況を判断、整理することが大切です。
仏の教えを信奉し、さとりを求めて仏道を修めるべく、精進する私たち仏教徒の生き方も同じです。
己の幸せのみを願えば、おのずと心は狭量(きょうりょう)となり、他の幸せも同時に願えるならば、その心は大らかとなり、ゆとりも生ずるが道理です。
仏心を起こし、さとりの境涯を求めるということは、己自身が勤め励んでそこに達することも重要ですが、敢えて己を置き、他の人々を導いてその境涯に渡すための架け橋となる道もあるのです。
僧侶である、一般の家庭であるなどと職業にかかわらず、天上界や人間界などと住んでいるところにもよらず、苦楽貧富等と思慮や生活状況にも左右されることなく、仏教徒であるならばこの仏心を発することが、仏道を実践する出発点となるのです。 つづく
講座(4)『修証義』の教え㉝(第4章 発願利生)
仏の教え