〇人身(にんしん)得(う)ること難(かた)し、仏法(ぶっぽう)値(お)うこと希(まれ)なり。今我等宿善(いまわれらしゅくぜん)の助くるに依りて、已に受け難き人身を受けたるのみに非(あら)ず、遇(あ)い難き仏法に値(あ)い奉(たてまつ)れり、生死(しょうじ)の中の善正(ぜんしょう)、最勝(さいしょう)の生(しょう)なるべし、最勝の善進(ぜんしん)を徒(いたずら)にして露命(ろめい)を無常(むじょう)の風に任(まか)すること勿(なか)れ。
【本文解説】
私達は、皆それぞれがこの地球上に、また沢山の動植物の中から、人間として生を受け、更に仏の教えに接することが出来たという、不思議さと尊さについて、よくよく深慮しなければなりません。
昨今は互いの命というものについて、じっくりと腰を据えて考える場所や時間も、失われつつある観があります。自らの命は自らの責任の上に存在を保たれる面と、両親をはじめ多くのご先祖様方、一人一人の礎上に成り立ち、さらには多くの動植物の命、周囲の助力や励ましによって支えられている、という面が存在します。
ですから私達互いの命は、私達のものであると同時に、私達だけのものではないのです。どのような命であっても、己一人で生まれてきた命も、己一人だけで生きていける命もないのです。
現代は、生活や時間に気忙しく追われ、本来もっとも大事に、大切に、時間をかけて育むべきものをないがしろにして、些細な枝葉のことばかりにとらわれて、ますます己自身を見失いつつあるようです。 つづく
講座(4)『修証義』の教え⑨
仏の教え