過日、墓石銘を依頼され書した文言で「仰誓願」(ごうせいがん)あるいは(ぎょうせいがん)と読みます。
日本語ならば、せいがんをあおぐ、とも読めましょう。仏教では「仰」の文字を多様いたします。仰ぎ見る、仰ぎ冀う(あおぎこいねがう)等、仏やご先祖様をはじめ、敬意を抱き学ぶべき先達や、己が師にあたる方々に対し用いるべき言葉です。
寺院とは畢竟須く祈りの堂場でもあります。何かを期待して祈るのではなく、我が身が今ここに在るが故に報い祈らずにはいられないからこと、ただただひたすら祈念する、この姿を合掌礼拝(がっしょうらいはい)と申します。
故に寺院の読経後の回向文では、おおよそ「仰冀はくは」(あおぎこいねがわくは)の文言からはじまり、自他の共生や大事に触れて感謝の意と決意を促す文言で締めるのです。
誓とは、仏の教えと共に生きることをちかうこと。
願とは、己自身は勿論のこと、己以外の他者をも救うことを願うこと。
即ち仏教の根幹でもある「誓願」を大事肝要と定めて、人生万般にわたって守り勤めていこうとする覚悟こそが「仰誓願」と言えましょう。
社会の中の【仏教用語】他③ 仰誓願
社会の中の【仏教用語】他