正安寺の什物③【掛軸 狩野永徳重信(水墨鷺之図)】安土桃山時代

正安寺什物

 日本絵画史上最大の画派として、室町時代中期から江戸時代末期までの、約400年にわたって画壇の中心にあって、活躍したのが狩野派である。
 室町幕府の足利義政に仕え、御用絵師となった狩野正信を始祖として、その嫡男狩野元信、狩野松栄、狩野永徳と連綿と続き、その間に培った政治力をも駆使して時々の情勢を見極め、乗り越えてきた親族を中軸とする絵画集団ともいえる。
 特に室町から戦国、安土桃山を経て江戸時代へと大きな変革を迎える時代に、その責を担った狩野永徳は、時同じくして突如画壇に双璧として現れた長谷川等伯が、まさに彗星の如くの印象を残しつつも、後世に勢力を伸ばせなかったのに対し、永徳はその政治力も用いながら、京には後に京狩野派の祖とも称される狩野山楽を、江戸や宮中にも狩野派から選りすぐりの者達を配して、盤石の礎としたのである。
 事実、江戸幕府になると永徳の孫でもある狩野探幽が活躍し、その勢力は衰えることなく、幕末まで続くこととなる。

         
          
狩野永徳(1543~1590)