斗米庵、米斗翁、心遠館、錦街居士等様々な号をもち、円山応挙や曽我蕭白等と時代を共にした日本画家で、近年になって再評価され、現在脚光に浴しているのが伊藤若冲である。
作品の一部には狩野派の絵画や絵本との類似性も僅かながら見られ、墓碑銘にも狩野派に学んだとあることから、作品の初期には恐らくそうであったろうと推察されているが、元来模写を心掛け、宗元画等の花鳥図、当時の本草学からの実証主義的気運の高まりや、明、清代の民間画工、特に鶴亭等との類似点も指摘されるなど、時代の変遷とともに様々な画法を取り入れたことは間違いなく、特に「鳥の若冲」と称される謂でもあろう。
すでにこの時代に尾形光琳は亡く、尾形乾山も晩年期を迎えており、琳派を江戸に根付かせた酒井抱一や鈴木其一はまだなく、若冲の花鳥図の画法等の印象から、この琳派の空白期を凌いだ存在とする見者もいる。
大和絵の技法を基盤としながらも豊かで優美な装飾性をもち、絵画だけでなく書や工芸までを統括する総合芸術を、その家系ではなく私淑による断続的な継承とするところが、琳派の特徴でもある。
この時代に鮮やかな色彩を用い琳派を彷彿とさせる花鳥図を世に放った、伊藤若冲の功績には大なるものがあるといえよう。
正安寺の什物②【掛軸 日本画 伊藤若冲 松之鷹画】江戸1700年代
正安寺什物